ご存知と思いますが、大地震の津波の影響で
福島の原発が大変なことになっています。
現場では、決死の覚悟で作業をされている
作業員の方々がおられます。
その方々には頭が下がるばかりです。
私の知見の範囲内で、ネットやテレビなどで
得られる情報を分析したところ、
非常に深刻な事故ではあるのですが、
チェルノブイリの事故のように、
一般の人に重大な健康被害が生じるほどの
事態にはならないだろうと推測しています。
しかし、たとえ人や環境への被害が
少ない形で事態が収拾できたとしても、
この事故の傷跡は日本に深く刻まれるでしょう。
・電力の欠乏
・周辺の農作物や魚貝類の風評被害
(場合によっては外国による日本の風評被害)
・原発を輸出しようとしていた企業の損失
・日本の危機管理体制、信頼自体の喪失
・世界的な原子力利用への反対の加速
日本人にとって、特に経済的に、
困難な状況に陥ることは必至のようです。
僕は、原子力は過渡的な技術であり、
例えば200年先も使い続けられる
技術ではないと考えています。
理由として、原料のウランの有限性、
放射性廃棄物の問題なども考えられますが、
一番大きい理由は、絶対に間違いが許されない、
ということです。
今回の福島の事故は、
想定し得ないほどの津波が発生したことに
直接の原因があります。
普通の技術であれば、想定外のことが起これば
それを取り入れて設計すればいい、
つまりやりなおせばいいのです。
しかし、原子力は事故が発生したときの
ダメージがあまりにも大きいため、
間違いは全く許されないのです。
本来このような技術は、
人間が扱うべきではないと思います。
それでも、時代の要求によって、
使わざるを得なかった。
いわば、緊急回避的な技術であるのです。
歴史的にみれば、一時的に使われて、
後世からは存在を忘れ去られることが
望ましいというわけです。
それを踏まえて、これからの原子力利用は
どのようにあるべきなのでしょうか。
これからは、国内で新規の原子炉を
建設することは現実的に不可能でしょう。
なぜなら、今まで反対する人を
説得するのに使ってきた
「絶対安全」の神話が崩壊してしまったからです。
何を言っても、事故は現実に発生したのです。
こうなってしまった以上は、
日本はポスト原発の技術に焦点を当てるべきです。
元々、永く生きながらえる技術ではないのです。
この不幸な事故は、その転機となることにより
歴史的な意味を持つのではないでしょうか?