2017年04月15日

つまらない人


ある知人がSNSにこんなことを書いていました。

損か得かで生きている人と話すのが
一番つまらんよな


損か得かで生きる人、
これを一言で凡人という
という話も聞いたことがあります。

損得で動く人、これはある刺激に対して、
行動が予想できる人、ということになります。

どう動くのか想像がつく人って、
やっぱりつまらないですよね。

よく、異性の意外な一面を見たときに
魅力を感じる、といいますが、
人が魅力的に感じることは、
常に意外なことなのです。

となると、パターン化した自分の行動に
ある時、真逆の行動をとるという習慣が
魅力をつくるのに役立つのかもしれません。

数値シミュレーションの技術でも、
決まりきった袋小路にはまらないために
ランダム要素を取り入れるのが常識になっています。

ルーチン化した日常に、
非日常を取りいれる努力が必要ですね。

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2017年03月04日

無意識を意識に落とすこと


最近、平成進化論というメルマガで知られる、
鮒谷周二氏の思想を勉強しています。

個人の成長、変化のプロフェッショナルということで、
特にその言語化能力が素晴らしいです。


その鮒谷さんは、人が何かを習得する際に、
4つのステップがあるといいます。

1段階目が無意識的無能、
これはあることができないし、
そのできないことを意識してもいない状態です。

そして、2段階目が意識的無能、
できないものの、自分ができないということに
気づいている状態です。

3段階目が意識的有能、
これは、意識していればできるものの、
意識していないとできない状態です。

例えば、入門者のテニスの素振りなどが
これにあたります。

ボールがないところでやれば、
きれいなフォームでラケットをふれても、
実際のゲームだと、メタメタになる、
そんな状態です。

そして、4段階目は、無意識的有能、
つまり、なにも意識しなくても、
出来てしまう状態です。

例えば、息をすること、歩くことは、
何も意識することなくできてしまいます。


このように見ると、がんばって
無意識的有能にいこう、
と考えるわけですが、
無意識的有能も良いことばかりでは
ないと考えています。

なぜなら、何の意識をすることもなく、
無意識的有能にいる場合があるからです。

例えばスポーツが得意な人は、
何の意識もせずにできてしまう。
しかし、それが当たり前であるが故に
人に教えることができないのです。

必ずしも、名選手が名コーチとは限りません。
これは無意識的有能のワナなのです。。

逆に、努力して、身に着けた人は
しっかり意識におとして、
トレーニングを繰り返してきています。

だから、人にも教えられますし、
他のスポーツなどにも、
応用がしやすくなります。


そう考えると無意識にできることも、
一回意識に落としてやれば、
また、違う見方ができるといえるでしょう。

自分の無意識的有能を意識におとしてやれば、
世界が広がっていくのではないでしょうか。
posted by エンジニアライター at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月04日

人との競争から逃れたい

伝えることから始めよう

ジャパネットの高田明さんの本を読みました。
本当に素晴らしい内容で、
人に伝えることの本質がここにあると思います。

ただ、このブログには、個人的に響いた
フレーズについて語りたいと思います。

それは、高田さんの妻が高田さんに言った
「あなたは劣等感も優越感も持たない、珍しい人ね」
という一言です。

何というか、私もこんなことを言われる人に
なりたいと強く思うのです。

私といえば、劣等感も優越感も嫌いで嫌いで
捨て去りたいけれども、
どうしても残ってしまうものなのです。

もちろん、この世の中には
健全な競争というものは必要なのでしょう。

しかし、私の人生にはそれは要りません。
私はそれを捨てたいのです。
それが私の美意識、ありたい姿なのです。

この本を読む限り、高田明さんは、
自然に劣等感も優越感もないのでしょう。

私にすれば、本当にうらやましいです。


ただ、天性のものは完璧ですが、
完璧すぎてそこに重みはありません。

だから、私のように、もがき苦しむ方が、
人間らしくて良いと思いたいです。


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2017年01月21日

学生のころの優等生が大成しないわけ


私にも40歳が目前に迫ってきました。

このくらいの年になると、
結構成功している人、そうでない人の差が
少しずつ広がってきていると感じます。

その中で、学生時代にいわゆる優等生
だった人が意外に伸びていないような気がします。

ここでいう優等生とは、頭もスポーツもできて、
ルックスも良く、非のつけようがない人達です。

逆に成功している人は、何らかの欠陥か
周囲から浮いていたような人が多いですね。


なぜ、そうなるのか、考えてみました。

何かを成し遂げる過程としては、
まず、志を立てて、情報を集めて考え、
行動を起こして仲間を作り、
そこから行動し続けて、成功に至る
という流れがあると考えています。

ここで大事なのは、
「仲間」つまりコミュニティです。

仲間は志を達成するには不可欠です。

ただ、一つ問題があって、
最初、コミュニティに入ったときは
自分が一番できない人である
という状況になります。

しかし、自分が劣等性であった経験がないと
この状況に耐えることができず、
コミュニティにいられなくなるのです。

特に、ずっと優等生で何でも人並み以上に
できてきた人にとっては、
大人になって初めて、
自分が劣等生になるということは、
とても耐え難いものでしょう。

だから、優等生は大人になって
うまくいかないのです。

逆に、何らかの欠陥がある人は
多少の挫折には違和感がなく、
自分の得意領域で勝負ができるのです。

なお、優等生のワナを防ぐためには、
若いうちに突き抜けた人とあって
「この人には絶対かなわない」
という経験をすることです。

この経験があって初めて、
自分が何で勝負するかを
考えるようになるのです。


posted by エンジニアライター at 15:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月07日

師として最適なのは言語化能力に優れた人


よく、成長するためには、
メンター、つまり師が必要だと言います。

そのメンターとなる人は、
自分の目指す道で成果を出していることが、
第一の条件となります。

その次に、弟子としては、
師となる人が教えられる人
であることが重要なわけです。

教えられるとはどういうことでしょう。
面倒見が良いことでしょうか?
でも、残念ながら熱意があっても
空回りしている人が多いのが現実です。

それでは教える本質とは何でしょう。
私はこれは言語化能力の
ことではないかと思うのです。

あることが「できる」といっても、
その「できる」メカニズムを説明できるか、
ということは別問題になります。

例えば、スポーツを教えるときに、
こうやって、バーン、バーンとやるんだ!
と身振り、手振りで教える人が多いでしょう。

しかし、できない人はその身振りを見て、
同じようにしているつもりでも、できないのです。

教えるためには、一旦抽象化させて、
そのエッセンスを外に出す必要があります。

それが、言語化能力でないかと思うのです。


僕が、いま師としている人たちは、
みんな言語化能力が優れています。

例えば、人を動かす文章を教える時に、
その要素は3つあって、
1つ目は…、2つ目は…、3つ目は…、
と論理的に説明ができるのです。

これこそがプロの能力ですね。
師を選ぶときには、この言語化能力を
見ると間違いがないでしょう。


ただ、私は言葉の人なので、
言語化能力に惹かれるのかもしれません。

これが芸術だったら、作品でコミュニケーション
できるかもしれませんし、
スポーツだったら身体で伝わる、
ということもあるのかもしれません。

つまり、自分が得意とする
コミュニケーション手段に優れた人、
これがメンターの条件なのでしょうね。

posted by エンジニアライター at 21:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする