2015年06月18日

数学のルールはスポーツのルール

数学のルールには人為的なものがあります。
これを定義といいます。
定義というものはただ人間がそう決めた、
というだけで理屈のないものです。

この章でベクトルの外積は、
大きさはベクトルa,bの作る平行四辺形の面積、
向きはベクトルaからbの方向に右ねじが進む方向
のベクトルである、という話をしました。

例えば、これがなぜaからbの方向に右ねじが進む方向なのか、
その逆の方向ではダメなのか?
と問いかけても数学は答えを返してくれません。

定義は疑うものではなくて、
その定義を無条件で受け入れた時、
その先にどんな世界が広がっているか調べること、
それが数学という学問なのです。

数学は論理的と言われますが、
その原点である定義は、
ただ決めただけであって論理的というわけではありません。

私はこの関係はスポーツのルールに似ていると考えています。

例えば、サッカーはなぜ手を使ってはいけないのでしょうか?
バスケットボールはなぜボールを持って
走ってはいけないのでしょうか?

この問いに論理的な答えはありません。
しかし、この理不尽なルールを受け入れた結果、
ドリブルなどのテクニックやゲームの戦術など、
人間にとって興味深い世界が広がるのです。

数学に話を戻すと、
円周率が直径と円周の比であること、
つまり(π=3.14159…)であることも人間が決めただけであって、
それに論理的な意味はありません。
別に半径と円周の比にしてしまっても
数学の体系的には何の問題もないのです。

Euler.gif

この章で、オイラーの等式を紹介しました。
この式は数学の式の中で一番美しいとも言われますが、
仮に円周率が半径と円周の比で定義されていると
円周率は今の2倍の値(π=6.2831…)になり、
マイナスが取れてより美しい?形になります。

ですので、円周率を直径と円周の比で定義してしまったことを、
人類の大きな過ちである、と考える数学者の方もいるようです。

どう決めてしまっても問題はないのですが、
一度決めたことを覆すことはできないのですね。

posted by エンジニアライター at 21:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 高校数学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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